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小学校

2022.05.11

【ICT教育のイマ】「べき論」からの脱却 ―算数・数学を事例として― ①

常葉大学
講師 三井一希先生

1 教室環境の変化

 GIGAスクール構想により、全国の小中学校に1人1台端末と高速ネットワーク通信が整備された。文部科学省によると2021年7月末時点で、公立小学校等の96.1%、中学校等の96.5%で、全学年または一部の学年で端末の利活用がスタートしている。これは、端末整備の段階が終わり、端末活用の段階へとシフトしていることを示している。今後は、整備された端末をどのように使うのか、という点に重きが置かれるようになるだろう。

 このような状況の中、授業ではデジタルを使うべきか、アナログを使うべきか、という議論を未だに耳にする。これは、旧来型の教室環境の概念に引きずられているために起きる議論だと考えられる。

 図1は教室環境の変化を表した図である。授業中は黒板とチョークを使って教師が教え、児童生徒は鉛筆を使ってノートに書くアナログだけの時代があった(1)。これが長く日本の学校教育のスタンダードであった。そこに、電子黒板や実物投影機といったデジタル機器が入ってきた。つまり、アナログがメインでデジタルをときどき使う状況である(2)。ただし、このデジタルも教師の教える道具としての活用であり、児童生徒の活用とはなっていなかった。教具としての選択肢の一つだったのがこの環境のデジタルの位置づけである。

 そして、GIGAスクール構想を経て1人1台端末の環境となると、デジタル環境が当たり前になり、デジタル環境の中にアナログがある時代となった(3)。もちろん、デジタルにはデジタルのよさがあり、アナログにはアナログのよさがある。そこで、デジタルかアナログか、という二項対立で考えるのではなく、どちらも使う、便利に使い分けると考えることが必要ではないだろうか。GIGAスクール構想を経て、そうした選択が可能な環境に教室が変化したのである。

【ICT教育のイマ】「べき論」からの脱却―算数・数学を事例として―①01
図1 教室環境の変化

 私たちの日常生活においても、スマホで天気やニュースを調べ、SNSで家族や友達とやりとりをし、ネット動画を視聴して楽しんでいる。でも、付箋に買い物メモを書くこともあるし、紙の本の小説を読むこともある。デジタルの比重が大きいものの、デジタルとアナログを便利に使い分けている。日常生活同様、学校でも場面に応じて、便利に使い分けることが必要なのではないだろうか。

2 学び方の選択肢となる活用を目指す

 1人1台端末を活用して最終的に目指したいことの一つは、児童生徒の学び方の選択肢を広げることである。

 図2は自宅から駅までの行き方の一例を示したものである。自宅から駅が徒歩圏にある場合、徒歩、自転車、クルマと多様な行き方を選択できる。

【ICT教育のイマ】「べき論」からの脱却―算数・数学を事例として―①02
図2 自宅から駅までの行き方

 雨が降っているからクルマで行こう、運動不足だから徒歩で行こう、気分転換に自転車で行こう、とそのときの状況で方法を選択している。ただし、選択できるためには、全ての手段を試した経験があり、全ての手段ができるということが前提となる。できないことは選択肢には挙がらない。

 このことは学習の場でも同様である。端末を使って情報にアクセスしたり、クラウドを介して友達とやりとりしたり、共同編集の機能を使ったりする経験を積ませることがまずは必要である。そのうえで、さまざまな使い方を習得させておくことが重要である。今後、どのような場面で、どんな力が必要となるかわからない。だからこそ、学び方の選択肢の一つとして端末の活用が挙がるようにしておきたい。

 最終的に端末を活用した学習を選択しない子がいるかもしれない。それはそれで構わない。ただし、「経験したうえで選ばない」のと「経験していないから選べない」のとでは大きく異なる。児童生徒が端末を学び方の選択肢とできるように、まずは活用経験を十分に積ませることを意識したい。

3 教師の発話量から考える学習者主体の学び

 これからの授業で求められることの一つが学習者主体の学びである。算数を例にとる。

 小2算数「長方形と正方形」では、紙を折って直角をつくり、身の周りから直角を見つける学習がある。先日参観した授業では、教師が丁寧に直角の折り方を説明し、児童と一緒に直角をつくった(図3)。そして、つくった直角を教科書やノートにあてて直角の箇所を確認した。その後、教室の内外から直角の場所を見つけて写真を撮影するという活動を行っていた(図4)。

【ICT教育のイマ】「べき論」からの脱却―算数・数学を事例として―①03
図3 紙を折ってつくった直角
【ICT教育のイマ】「べき論」からの脱却―算数・数学を事例として―①04
図4 身の周りから直角を見つける活動

 アナログとデジタルの使い分けが意識されていた点ではよかったものの、学習者主体の授業とはなっていなかった。この点を発話量から分析する。

 図5は授業中の発話量を分析した結果である。45分間の授業での総発話数は419であった。そのうち、教師の発話数は300(71.6%)、児童の発話数は119(28.4%)であり、授業中の発話の多くは教師が行っていたこととなる。つまり、授業中に最も表現をしていたのは教師ということになる。もちろん、重要なことは教師が教える必要があり、教師が指示や発問をすることも大切である。しかしながら、教師が最も表現している授業では、学習者主体の授業とすることは難しい。今回発話量を分析したこの授業に限らず、多くの教室では、教師が一番発話をしている状況が日常化していないだろうか。

【ICT教育のイマ】「べき論」からの脱却―算数・数学を事例として―①05
図5 教師と児童の発話量の比較

 1人1台端末の活用がうまくいっている学級にはある特徴がある。それは、学習者主体の学びになっているということである。1人1台端末をうまく活用しようとすれば、必然的に学習者主体の学びに近づくのである。反対に、学習者主体の授業ではないのに、1人1台端末が有効に活用されるという状況はあまり見られない。

 教師が指示を出さないと端末に触れられない、教師が許可した機能しか使えない、などの状況では学習者主体の学びとはならない。教師が話せば話すほど、指示すればするほど児童生徒は受け身になる。そして、自ら思考・判断・表現しなくなる。教えるべきことは当然あるが、児童生徒に委ねる場面を多くつくるようにしたい。今回の授業でいえば、直角を探す活動をもっと取り入れ、撮影箇所が直角となっているかを児童自身に判断させる工夫が考えられる。

 教師の発話量というわかりやすい指標からも、学習者主体の授業、端末を有効に活用する授業とは何かが見えてくる。整備された端末を有効に活用しようということに目が行きがちだが、実は学習者主体の授業をつくっていくことが大事なポイントであることを意識したい。

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