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教材研究と問題発見について
#3では、教科書にない題材を使うことを通して、改めて教科書の趣旨、教材の趣旨を理解することについてお話いただきました。#4ではさらに踏み込んで教材開発、そして問題解決にお行ける「問題発見」についてお話いただきました。
子どもの姿で考える教材研究 Vol.1 教材研究の大切さについて
子どもの姿で考える教材研究 Vol.2 教材研究と資質・能力について
子どもの姿で考える教材研究 Vol.3 教科書と教材開発について
― 前回は、見方・考え方を働かせて教科書の趣旨を理解し、指導できるようにするというお話でした。そのような段階を超えた後、新しい教材をつくる場合、どういう風に考えて研究していけばよいのかを考えてみたいと思います。教材開発で新しい題材をつくるときに、うまくいったと感じる授業はありましたか。
金子 私も教材研究をしようとした時のベースは、教科書だったり大学の先生が書かれた本だったりすることが多いです。自分で数学の問題について日常生活から新しい教材を持ってくるという機会はあまりないですね。日常生活の問題の場面を取り上げて考えた授業が、別の教科書に掲載されていたことはありました。辞書の見出し語の総数を標本調査を利用して推測する問題です。新しい題材を考えようとしても、他の方がすでにやっていたり、どこかの教科書に掲載されている場合が多くありますね。
佐藤 いわゆる教材開発という1つの分野だと思うんですけど、教材開発の研究は少なくなってきたと感じています。いろいろな原因があると思いますが、1つはカリキュラム上の話です。今の教育は資質・能力ベースとなっています。でも、内容(コンテンツ)ベースからまだ脱しきれてない実情があります。指導要領で「資質・能力って言ってるけど、結局内容でしょ?」と反論された時に、あまり返す言葉がありません。あとは、教科書がよくできてると思うんですよ。それぞれの教科書に携わる方が多くの題材を提案し、現場の先生がその教科書を広く見てるので、教材っていうのはありふれていてなかなか新しいものがないと思いますね。
もっと問題なのは、「こういう授業をする時に、こういう素材があって、それが題材になりうるかを検討して、それが実際に教材になるか」と検討する経験をした先生が劇的に少なくなったと考えています。両刃の剣のように、教科書が良くなればなるほどそういう経験をする先生が減っていきますよね。
佐藤 以前の学習指導要領には、「選択」という時間が設定されていました。金子先生が子どもの頃にはすでに「選択」の時間はなくなっていたかもしれないですね。生徒が自ら教科を選択し学習します。たとえば、数学とか国語とか。そのような時間があったのです。その時間はとても楽しかったですよ。「選択」なので教科書はありません。教科書がないからこそ、自分で題材を探し、教材化を考えなくてならない。教科書にある題材を使うこともありましたし、似た題材を使う場合ももちろんありました。でも、もっとよい時間にするために、普段の生活の中で数学的な問題解決として楽しい題材がないかなと探すようになりました。そういうことが楽しいと思い始めると、自分で探し当てた素材が、教材に化けたときは嬉しくてたまりません。もちろん、教材化できないときもたくさんありましたけど。
かつて全国学力・学習状況調査の仕事をしていたとき、毎日「素材」「題材」「教材」のことを考えていました。通勤で電車に乗っている時も、なにをしている時も「数学で解決する問題にならないかな」などと考えていました。ずっとこの感覚で生活していました。でも、そういう先生は、もしかして少なくなってきているのではないかなと思うことがあります。
金子 私は逆に教材化までもっていく機会があまりなくて、何かないかなと色々考えてやってみて失敗する時もあります。受け持っているクラスの進度に余裕があるときに行っていますが、0から教材を作るっていうのは難しいなと感じています。本当にアンテナを立てていないとできないですね。
― 私は中学生のころ選択数学の授業を受けました。すごく楽しかった印象があります。厚紙から正六角形と正五角形を切り出して、組み立ててサッカーボールをつくったのを覚えています。
佐藤 あの時の「選択」の時間は、数学のよさや楽しさにつながるものを素材から探してきて教材化する先生と、普段の授業を補うような練習問題に取り組む時間にする先生とに分かれていたとように覚えています。「方程式を解けない人は選択するように」と指導するような場面もありました。もちろん、私が見てきた範囲ですよ。
学校の先生は、教材を考えるときには教科書を主軸に考えると思います。その上で、自分が開発した教材を授業で取り扱うことを中学校や高校の先生に取り組んでほしいなと思います。
― 「選択」の精神は、今の総合的な学習の時間などに残っているのでしょうか。
佐藤 総合的な学習の時間が導入は、子どもが探究をベースで物事を解決したり、考察したりする学び方を大切にする方向に向かいました。現行の高等学校の学習指導要領では「総合的な探究の時間」があります。今後の授業開発や教材開発において、数学の時間においても探究的に学ぶということ大切になると思います。そのための教材開発も必要になるでしょう。
今は問題解決一周するような教材が多く、数学的に考える場面として一瞬で終わるような感じがします。単元などある程度の時間のまとまりで解決するような題材や教材というのも必要になるのだろうと考えます。
― 教科書で探究的な学びを考えたときに、問題発見という場面がどうしても引っかかってしまいます。紙で提示する以上、生徒は問題発見することができないと考えています。子どもの問題発見ってどう考えればよいですか。
佐藤 これまで数学教育で大切にしてきた問題解決は、現行の学習指導要領での数学的活動でいえば「問題発見・解決」となっていますよね。問題発見を現場の先生たちがどのように捉えて、授業開発をするのかが気になります。金子先生はどうですか。
金子 私は問題発見については教科書どおりではなくて、生徒の実態に合わせた導入の仕方を考えて工夫しようとしています。例えば「富士山はどこから見えるかな。」という題材がありますが、これをちょっとアレンジして、富士山からこの中学校が見えるかどうかを考えさせました。教科書の題材なのですが、ちょっと変えて「本当にその場所から見えるのかな。」と生徒に疑問を持たせることで、生徒の問題にするようにしています。

― 先生が与えた時点で発見ではないという考えもありますが、いかがでしょうか。
金子 「問題発見」をどう定義するかは授業や教師によって違うのかなと思います。私は、教材の情報をあまり与えすぎないようにしていますね。できるだけ焦点化する前の問題を示すようにしています。日常生活に根ざしたような教材、それこそポップコーンの行列の題材の場面では、「ディズニーランドといえば?」と生徒に投げかけてみて、生徒の「パレード」「ポップコーン」という発言などから、少しずつその題材に近づけていくようにすることを意識しています。

佐藤 教師が生徒の問題発見をどのように捉えるのか、難しいですよね。いわゆるグルグル(数学的活動)の図は、数学の世界の場合、数学事象からスタートしますが、この事象を生徒がどのように捉えるかが重要です。例えば「ポップコーン屋さんがあって、人が並んでいます。私はこの後ろの方にいます。」これは事象ですよね。そこから、子供たちに「どんなこと考えてみたい」って問うと、考えるべき問題の発見につながるでしょう。「問題発見」というと少し言葉が強いので、「自ら問題を設定していく」といった方がよいかなと思っています。問題を設定していく中で、「では、何分ぐらいかかるのか計算して求めることができるのかな?」と投げかける、これは問題の設定を促すことにはなります。しかし、もう少し踏み込んで「たくさんの人が並んでる、待ち時間ってどのぐらいなるのかな?」と問いかけたり、「では、どう考えるよい?」と問えば、「関数を使うのではないか」、「比例なのでは」など生徒は意見したりするのではないでしょうか。そのようなやりとりをしながら生徒が問題を設定することができるように支えていけばよいと考えます。というのも、“問題”とか“問い”は捉えに幅があるので、現場の先生も困っているのではないか思っています。
金子 そうですね。「問題を設定していく」という言葉があっていると思います。問題提示というときも、その幅が先生によって違うと感じています。例えば、ポップコーンの行列の待ち時間を考える授業では、授業の導入で私がポップコーン屋さんに並んでいる絵を提示しました。そこから生徒は、その絵からパレードに間に合うかどうかを考えたり、買うものによってかかる時間が変わるのではないかと考えたりする生徒も出てきます。そこで、教室全体が「どんな情報が分かれば待ち時間を予想ができるかな?」と考える雰囲気になったところで「並んでいる人数」とか「1人あたりにかかる時間」などの情報を生徒が要求してきます。そこで初めて、いろいろなデータを示して、問題設定を生徒と決めたりしています。
先程の富士山の例でも一緒に考えていくようにしました。三平方の定理の題材で「中学校から富士山が見えるかな?」っていう話から、生徒たちから「そもそも富士山は何mなんですか?」とか、「富士山ってこの中学校からはどれぐらい離れているんですか?」のような疑問が出てきます。そのような生徒の質問から、問題の設定を共有していきます。
佐藤 「問題」というその言葉自体が幅広い意味を持っているのではないかなと。クエスチョンっていう意味、プログラムという意味もあるので、捉え方は色々です。どのぐらい(程度)のレベルで「問題」を考えているのかによっても変わってきますね。例えば、教科書にある「深い学び」のところのような問題を、生徒に1から考えさせることは難しいですよね。
東京書籍の教科書をみると、章の導入の場面が丁寧に設定されています。例えば、一次関数では、パスタをゆでるためにガスコンロで水を熱するという事象を扱った問題がありますよね。パスタを茹でるためのお湯を沸かす問題で、「何を考えることで、この問題が解決できるかな」「何をはっきりさせるとよいのかな?」と生徒とやりとりしたいですね。問題を発見することも大切ですが、問題化する、もしくは、問題は設定すると捉えたほうがよいと思います。
Profile
佐藤 寿仁 Toshihito Sato
岩手県公立中学校で11年、岩手大学教育学部附属中学校で6年教職を務め、岩手県岩泉町教育委員会指導主事、国立教育政策研究所学力調査官・教育課程調査官を経て、令和3年度より岩手大学教育学部准教授。
金子 裕哉 Yuuya Kaneko
茨城県の公立中学校で8年間教職に従事(現在は2校目)。
3年間、実践研究協力校事業に指定され、学力調査官から算数・数学の授業実践について指導を受ける。そのうち2年間は佐藤寿仁先生から指導を受け、「生徒が感動する授業」「生徒が幸せになる授業」を意識した授業実践を行っている。
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