特集記事(小中学校)

中学校

2025.03.28

【math connect】トークセッション:子どもの姿で考える教材研究 Vol.2

教材研究と資質・能力について

#1では、教材研究の大切さやそのポイントなどについてお話いただきました。#2では引き続き、教材研究について生徒との関連を踏まえてお話いただきました。

― 生徒によって教材研究が変わることはありますか。

金子 今年度から、2校目の学校で勤務しています。生徒が変わると同じ題材でも反応が大きく変わると実感しています。以前の学校でやったときにうまく活動できた教材が、次の学校ではうまくいかなかったこともあります。その逆もありますね。
 そのため、問題提示の仕方だったり、発問の仕方を変えたりしています。以前の方法から変化させて良くなった点は、協働的に学ぶ場面ですね。以前は協働的に学ぶ場面では固定された4人のグループで行っていましたが、今は自由に立ち歩いて仲のよい友達と話し合ってよいことにしました。授業形態も試行錯誤しています。

佐藤 生徒の実態によって柔軟に対応することが必要なのはその通りですよね。子供たちのレディネスなどの背景を考えたうえで授業での生徒の反応を想定しないといけないと思います。ただ、授業のねらいは変わるものではないので、数学教育的な意義を大切にして授業を工夫する必要があります。当たり前のことですが、子どもの経験は子どもによって異なります。中学校1年生であっても小学校6年間の経験も違いますよね。
 先日、他校の先生が入って授業される研究授業を参観しました。飛び込み授業というのでしょうか。よい授業だったのですが、その先生の授業が特別優れているっていうよりも、明らかに子どもたちの見方・考え方がすでに鍛えられていると感じる授業でした(もちろん授業された先生に力があるのですが)。子どもたちが積極的に関係を見ようとしているんですよね。子どもたちが日々鍛えられているというのは、授業を見てるとはっきりとわかるものです。
 私も、大学教員という立ち場ではありますが、時々小中学校で授業をさせていただく機会がありますが、似た経験があります。子どもが数学的な見方・考え方を働かせることをすごく鍛えられていると思うこともあるし、逆もあります。

― 飛び込み授業や初めての授業のように子どもの状況がわからないときは、どうやって確認しているのですか。

佐藤 子供と数学でのコミュニケーションを繰り返しながら状況を推し測っています。この子たちどのぐらいの言葉だったら理解できるのかなとか、数量は理解しているかもしれないけど、数量の関係はどのくらい捉えることができるのかなとか。私から聞いていきます。授業時間は50分間しかないので、探り探りでやるしかないのですね。先日、金子先生も見ていただいた私の授業もそのような感じではなかったですかね。こっちが一歩引いて子どもに接すると子どもも引いていきますよね。なので、全力でぶつかって欲しくて私からグイグイ迫ります。そのせいか、授業後に担当している先生や生徒さんからも「しつこいね」って言われます(笑)

金子 佐藤先生のしつこさ、私も参考にさせていただいています(笑)

佐藤 私は授業に、「子どもはできる」という信念を持って臨みます。飛び込み授業で伺う学校の先生方はとても謙虚な方が多いので、「うちの生徒には難しい」とお話されることがありますが、「子どもはできる」という信念をもって生徒と向き合うのです。この信念がないと、グイグイやっていくと逆に子どもが引いてしまい、授業が教師の一人舞台となってしまいます。「この子たちは答えることができないな」と教師が思い、生徒に問わなくなったら、その授業は終わってしまいます

金子 鍛え上げられている子どもやクラスの感覚はよくわかります。前任校は7年間、私がずっと指導していたので、授業準備の段階でイメージしているような深め方や、生徒の発言が出ていたんです。でも、転任してきて1年目だと、生徒が育んできた見方・考え方と私の想定にズレがあるので、それを確認するところから始めないといけないですね。その後で不十分だと感じるところがあれば、鍛え上げていく必要があると感じるようになりました。質問1つとっても意識しています。「どうしてそう思ったの?」とか「誰々さんはこう言ってるけど、みんなは?」とか、あえて誰かの説明をもう1回別の人に説明してもらうとか工夫しているつもりです。
 転任してすぐは戸惑いがありましたが、今は時間もたって同じ生徒を指導することができていますので、これからは子どもたちの数年先までを意識して鍛えてあげたいと考えています。

佐藤 最近、子どもに学習を自由に委ねる授業がありますよね。そのような授業ではどう委ねるのかが大事だと考えています。本当の意味で委ねる先生は、子どもができることやつまずいたりすることは教材研究を通して想定していると思います。いわゆる指導の個別化を実現しようとすると、すべての子どもたちの顔を思い浮かべながら生徒の反応を想定ができるかどうかが大事だと思っています。だからそこまで深く想定をせずに、学習の進度を子どもの自由とする学習を行うことは、子どもにとっても先生にとっても避けた方が良いと思っています。

金子 例えば、自由進度学習や個別最適な学びっていう言葉をひとつをとっても解釈は先生によって多様ですよね。ICTを使って自由に進度を調整することだと考えている先生もいれば、先ほど話したように、いろんなところに歩いていって話し合いながら深めていくっていうのも個別最適な学びになるのかなと思います。
 先ほど授業を生徒に委ねるという話がありました。委ねた後の責任が大切だと思います。教室の中で委ねて終わりではなく、委ねた結果、資質・能力がどう深まったのかを先生が確認する作業だったり、深めるための手立てを授業の中で用意したりしなければならない。それも教材研究として考える必要があると思います。

佐藤 「指導と評価の一体化」という言葉がありますよね。国が出した冊子にもなっています。こういう話って今に始まった話じゃなく、僕の若い頃からずっと言われてたことなんですね。「指導」と「評価」の一体化なんですよね。以前に比べて実現されつつありますけど、どちらかというと「指導」が先に立ってしまいがちですよね。
 その指導も最近、本当にそれが教師の指導なのかと考えてしまうことがあります。子どもが先生役となって、わからない子どもに教えるといった指導法も話題にあがっていますが、私は「教え合う」という言葉はあんまり好んで使いたくないと思っています。「教え合う」っていうことは、「教える人」と「教えられる人」という2つの立場が学習者のなかでできてしまうことになりますよね。学びって、そういうことではないと考えています。学習者が互いに「高め合う」なら理解できるのですが。高め合うってのは、自分もよく分からないけれど人の意見を聞いて理解を深めたり、誰かの発言を聞いて発展させたり、他の方法を考えたりして、高め合ってほしいですね。
 その高め合うときに「何を高め合うのか」が大切で、それを教材研究を通してしっかり押さえければならないし、それが育成すべき資質・能力を具体的に捉えることにつながると思っています。

― どうすれば先生方が教材研究のなかで、資質・能力に焦点化したり、数学観とか教材観を育むことができるようになるでしょうか。

金子 数学の授業研究じゃなくても、教材研究には気軽に話せる同じ教科の先生が大切だと感じますね。例えば10分でもよいので、「この授業ってこうやろうと思うんだけど、どうやって指導してる?」と会話ができることが1番いいですね。1人で考えていると考え方が変わらなかったり、袋小路に入ってしまうこともあります。私が若いときは、何をどう考えたらよいかすら分からなかったんです。佐藤先生が授業をいろいろ見てくださったとき、「こうこうしなさい。」ではなくて「こういう考えがあるよね」と可能性を示してくださるので、先生のお話をいただいた後に、同僚の先生と「どうする?どうする?」って悩みながら教材研究しました。この教材研究の時間が教師の醍醐味だと思います。

Profile

佐藤 寿仁  Toshihito Sato
岩手県公立中学校で11年、岩手大学教育学部附属中学校で6年教職を務め、岩手県岩泉町教育委員会指導主事、国立教育政策研究所学力調査官・教育課程調査官を経て、令和3年度より岩手大学教育学部准教授。

金子 裕哉 Yuuya Kaneko
茨城県の公立中学校で8年間教職に従事(現在は2校目)。
3年間、実践研究協力校事業に指定され、学力調査官から算数・数学の授業実践について指導を受ける。そのうち2年間は佐藤寿仁先生から指導を受け、「生徒が感動する授業」「生徒が幸せになる授業」を意識した授業実践を行っている。

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